日常やら妊活やら

30代主婦、妊活とその他諸々の記録

産婦人科遍歴② 地方のさらに田舎の隣町の大きな医院

①の病院で紹介状をもらった

大きな病院のお話です。

 

 

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初めての妊娠が

なんの実感も痛みもなく

(全く痛くなかったと記憶しています)

終わってしまった翌日

紹介状を書いてもらった病院へ

夫に連れて行ってもらいました。

 

 

あの辺りでは

一二を争う大きさの病院だったと思います。

 

 

私はこれまで健康だけが取り柄で

大きな病院とは縁がない人生を送ってきたので

各種さまざまな科が集まっている病院に

入り口に足を踏み入れた瞬間から戸惑いました。

 

受付カウンターらしきところは

6つくらい窓口があるし

謎の機械もあるし

何より人が多い!

 

付き添ってくれた夫に促され

”紹介状をお持ちの方はこちら”という札を見つけ

そこにオドオドしながら紹介状を渡し事情を説明。

産婦人科へご案内します」

と病院内を誘導してもらえました。

 

道中、○○科、△△科、☆☆科・・・ありすぎるし

行き交う人は多いし

複雑怪奇な病院の形もあいまって

自力ではたどり着ける気がしなかったです。

 

 

 

たどり着いた産婦人科

そこにたどり着くまでの殺伐とした雰囲気から一転、

なんとなく暖かい空間でした。

 

産婦人科の扉の中にも受付があり

そこで待っている間に問診票を書くように言われました。

 

朝一で行ったこともあり他の人はほぼ居らず

夫と二人、何を話すでもなくぼんやり待っていたと思います。

 

 

しばらくして中に呼ばれ、

まず問診票の内容について看護師さんとお話しました。

 

「ご家族に乳がんの人が居るの?」

「あ、はい。叔母、ですが」

「あー。おばさんなら、書かなくても大丈夫よ」

「そーですか」

「初めての妊娠だったのねぇ」

「はい」

「残念だったね」

「そーですね」

「出てきたもの、持ってきてたりする?」

「はい。あります」

 

昨日、私の中から出てきてしまったものを

トイレに流してしまうこともできず、

インターネットで調べて病理検査?される

と見かけたので持ってきてました。

 

ただし、今でも後悔しているのが

そのものだけでなく、ナプキンごと持ってきて

そのまま病院に渡したことです。

 

あのとき、大きなものが流れ出てくる感触に驚いて

トイレに駆け込み

ナプキンにこんもりと山になるそれにさらに驚き、

戸惑い、悲しみ、

それをそのまま袋に詰めてきたのです。

 

今考えると、そのものだけをキッチンペーパーなどに包んで

持って行くべきだったと反省しています。

病院の方、すみませんでした。

 

 

 

診察室に呼ばれ中に入ると、

中年くらいの男性の先生が居ました。

調べたところ、この病院の産婦人科医はこの先生だけのようでした。

 

「残念だったね。でも、珍しいことじゃないからね」

 

 

 

ちゃんとすべて流れ出ているか確認するため

内診することになり隣の部屋へ。

 

「下の服すべて脱いで、座ってお待ちください」

言われるがまま脱いで座ると、すぐに椅子が動かされ

あの体勢に。。。

 

なったのに、

天を仰いで、両足を広げ、恥ずかしい姿勢になったのに、

先生が来ません。

 

この病院は内診台の上にカーテンがなく

乗った時から

「これは、先生と目が合っちゃいません?」

と思っていたのですが、

そもそも先生がすぐ来ない。

 

さらに部屋の奥の看護師さんが行き交う

バックヤード的なところのカーテンも全開!

 

誰も見ていない(だろう)とはいえ、

たくさんの行き交う看護師さんに

あられもない姿でとんでもないところを晒し続け、

そのカーテンを閉めてくれ!

先生すぐ来れないならこの体勢から解放してくれ!!!

と念じること5分くらいだったでしょうか。

 

「ごめん。お待たせ。じゃあちょっと見るね」

ぬるっと先生がやってきました。

 

 

 

「んー、ちょっと残ってるなぁ。このまま出しちゃうね。

ちょっと痛いけど、頑張って」

 

返事をするやいなや、痛みに襲われました。

なにやらとても痛くて痛くて痛くて

痛みで脂汗をかくという体験をしました。

何がどのように痛いのか、とかあまり覚えていません。

とにかく痛かった。

 

処置後、看護師さんに

「そんなに痛かった?」

と言われました。

 

 

そのあと診察室で

「麻酔使うこともあるけど、

それだと入院してもらわなきゃいけなくなっちゃうからさ。

嫌でしょ、入院」

と先生。

麻酔使うこともあるって、それってなかなか痛いってことじゃん!?

 

 

 

尿と血を提出するように言われ、

尿検査はトイレが産婦人科の扉の中にあったけれど、

血液検査は採血するブースが他の場所にあるそうで

受付の人に道順を習いました。

 

どうにかたどり着いた先で

各科から集結した採血待ちの人と一緒に待って

血を抜かれ、

迷いつつ産婦人科に戻って、

翌週の予約を取りました。

 

一番最初の大きな受付に戻って

お金を払い、処方箋と診察券をもらい

「次回から、受付はあちらの機械で行ってください」

あの機械は、そのための機械だったのか!

 

 

 

 

産婦人科内の待合でずっと待っていてくれた夫によると

私が内診台の上で開脚状態で待たされているとき

お産になるかも、とバタついていたそうです。

 

「お産になったら、今待っている人たちは

さらに待たなきゃいけなくなるからご了承くださいって」

 

設備の整った大きな病院の産婦人科でも

先生が一人しかいなければ

分娩と診察を同時にはできない。

産まれてくる時間を決めることはできないし、仕方ない。

 

仕方ないけど、

もし、本当にお産になっていたら

私はお産が終わるまで、あそこであの体勢のままだったのか?

と考えるとちょっと怖くなりました。。。

 

 

処方された薬のせいなのか

その後数日、ものすごい腹痛と下痢と闘い、

1週間後、2回目の診察。

 

言われたとおり機械で受付を済ませ

迷いつつも産婦人科へ到着。

 

この辺りでは貴重な産婦人科

お腹の大きな女性に囲まれて

空っぽの身体の居心地の悪さといったら。

2回目は一人で来たので、余計に心細く

空しさも増すばかりでした。

 

診察を受けて内診で子宮の状態を確認され、

前回の尿検査と血液検査にも異常はなし。

 

提出した流れ出たものの病理検査の結果はまだと言われたので

もうすぐこの街を離れることを伝えて

新たな街の病院へ紹介してもらうことになりました。

 

 

 

次の街は、今より栄えていることろです。

地方であることに変わりないけれど

今よりは病院もたくさんあります。

いろいろ調べて、

雰囲気がよさそうで

自力で行ける(移動手段は徒歩か自転車)ところにあって

今後のことを考えて不妊治療を大きく掲げている病院を選びました。

 

「あー、そこね。じゃ○○先生に紹介状書いとくわ」

 

こうして2つめの病院を終え、

3つめの病院との関係が始まります。

 

 

 

 

 

大きな病院で診察を受けるということが初めてだったので、

その環境や雰囲気ととにかく人の多さに圧倒されました。

 

先生はちょっと変わった感じの先生でしたが、

嫌だなぁとは感じませんでした。

看護師さんの方がなんだかなぁと思ったことを記憶しています。

 

 

田舎だからそもそもの人が少ない

とはいえ、ある程度の人が暮らしているのです。

 

当時の職場の方が、この病院で不妊治療をしていたと

後に聞きました。

 

たった一人の先生が、

あの辺りの多くの女性の

さまざまな悩みを支えているのかと思うと

その大変さは想像を絶します。

 

もちろん

病院はここだけではないし

非常勤の他の先生も居るようでしたが

それでも、やっぱり、大変だろうな。。。

 

だから、うっかり放置されても仕方ない、のかなぁ。

 

 

でもやっぱり、先生は無理でも

看護師さんの誰か、気づいてくれても良かったんじゃないかしら。

 

少なくとも一人、私の乗った内診台を操作して

あの体勢を作り上げた看護師さんは

カーテン閉めるなり、台を戻すなりできたんじゃないかなぁ

と、

1年以上経った今でも少し根に持っています。